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6月聞法会ふりかえり

歎異抄第7条を読みました。

 

「念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し・・・」と語られます。

 

無碍の一道とは、わたしにいただいた境遇を引き受けて人生を歩む覚悟がさだまる。

 

ということではないかというお話を住職と私とでお話しさせていただきました。

 

人生には上り坂・下り坂・まさかの3つの坂があるといいます。

 

「まさか」という場面に出会うとき、なにかにすがらずにはおれない私たちです。

 

しかし、どれだけ心をつくして神さま仏さまにお願いしたとしても、神さま仏さまが身代わりになってくれることはありません。

 

「身自当之、無有代者」(身自ら之を受け、代わる者あることなし)とは『無量寿経』にある言葉です。

私の人生を歩めるのは私しかいません。

 

ああなればいいなこうなればいいのになと言ってウロウロして迷っているんだよと気づかせようというのが仏教です。

 

あっと気付かされて、私は私にいただいた境遇を生きるんだ!と覚悟がきまるところに開かれてくる歩みが無碍の一道と私は味わいました。

 

それは私が天の神も地の神を敬っていく人生ではなく、天の神と地の神が私を敬うような人生の歩みがはじまるとおっしゃっておられるのではないでしょうか。