教区研修会に行ってきました。

真宗佛光寺派新潟教区教学研修部研修会(長い…)に行ってきました。

「日本人の死生観」をテーマに、淑徳大学准教授 郷堀ヨゼフ氏からお話しいただきました。テーマについて幅広い視点から掘り下げていただいて、とても興味深いお話しを聞かせていただきました。

この研修会を開くことになったのは、新潟日報の「窓」に投稿された、「ひとは死んだらどうなる?」という高校生の問い(叫び)がきっかけでした。

僧侶である我々はこの問いをどう受け止めればよいのか一緒に悩もうと。

 

ヨゼフさんのお話しを聞いて思い出したのですが、平成9年に、酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年による殺傷事件がありました。少年は、「なぜ人を殺そうと思ったのか」という質問に、このように答えたそうです。

「僕自身、家族のことは、別に何とも思っていないものの、僕にとっておばあちゃんだけは大事な存在でした。ところが僕が小学生の頃に、そのおばあちゃんが死んでしまったのです。僕からおばあちゃんを奪い取ったものは「死」というものであり、僕にとっては、死とは一体何なのかという疑問が湧いてきたのです。そのため「死とは何か」ということをどうしても知りたくなり、中学校に入ったころから、人間の死に興味が出てきて、人間はどうやったら死ぬのか、死んでいく時の様子はどうなのか、といったことを頭の中で妄想するようになっていったのです。」

作家の青木新門さんは、これが少年の動機なら、あの事件の原因は、大人が社会から、死というものを見えにくくしてしまったことが原因でなかろうかと言及をされています。

郷堀さんも言及をされていましたが、現代は、「死」をできるだけ考えないように、見えないようにしています。

 「人は死んだらどうなる?」と投稿せずにおれなかった高校生は、もしかしたら死について話せる人が身近にいないのかもしれない。死について興味をもつことがネガティブなこととして否定されたのかもしれない。

 

郷堀さんは、僧侶へ期待することとして、同じ立場に立って物事を考え、一緒になって悩む。そういう姿勢が求められているのではとおっしゃってくれました。私もそう思います。

 

いろんなことが深められたとてもよい研修会でした。